質屋の歴史は700年!長く続いている理由とは?

投稿日:2017年4月13日 更新日:2021年03月29日

質屋の歴史

皆さん、こんにちは。

熊本の質屋 質乃蔵の児玉です。

10数年前は全国に質屋は3万点店あり、ここ熊本でも、かなりの数が営業されていました。しかし、時代とともに、今は全国でも3千店熊本も10数店に減ってしまいました。

時代とともに減っている質屋ですが、質屋(しちや)って、いったい何?と思われる方も多いはずです。ということで、質屋の歴史について書こうと思います。少しでも質屋について知って頂けると嬉しいです。

700年続く質屋の歴史についての豆知識

質屋が日本に誕生したのは、今から700年も昔までさかのぼり、鎌倉時代に誕生したものです。この名前を聞いて思い浮かべるものは無愛想の表情をした店主がいるお店です。

質屋とは現在で言うと銀行(金融機関)のようなもので、少額の資金を庶民に融資してくれる庶民の金融業と言うことができます。ここでお金を借りに来た人に貸すときには、基本的に現在の金融機関が行っているような審査などはしないでお金を貸しています。

質預かりの仕組みとは?商品を担保にしてお金を融資

お金を貸し出すときには、借りる人が持ってきているものを質として預かることにし、預かったものの価値以上にお金を貸し出すことはしません。

また、質とは、現在で言う担保のようなもので、お金を借りに来た人がお金を借りる代わりにお店に預けるものです。この時にお店に預けた担保となる家財などは、質草とか質種などと呼ばれていました。

お金を借りると利息が必要になってくるのは現在と同様で、当時の法律に基づいた利息で貸し出しを行っていました。お金を返済してくれるまで保管しているための費用や手間などを考えて、利息を設定しています。

また、流質期限という返済期限の代わりのものが設定されており、お金を借りてからおよそ3か月以内までに借りた金額と利子とを合わせた総額を返済しなければ、担保に出された質草はお店のものとなってしまいます。

質草がお店のものになった時点で借りたり貸したことに対する契約は終了することになります。このことを質流れと呼び、この担保として預かり、質流れとなってしまった家財などは、お店で店頭販売を行ったり、共同組合のようなところが運営している個物市場などで販売される仕組みになっていました。

質屋の歴史は700年

質屋が誕生したのは鎌倉時代で、今から700年以上も前になります。これは、鎌倉時代は貨幣経済が発達してきた時代で、この当時の名主や有力者などが自分の領民などに対してお金の貸し付けを行うようになってきたことが原型となっています。この当時の名前は現在のものとは違い、土倉というように呼ばれていました。

この名前が付いた理由は、お金を借りに来た人の家財などの担保を保管しておく場所に土蔵を建てたことが由来となっています。そして時代の流れとともに貨幣経済は庶民にまで普及していき、それと共に質屋も発達をしていきました。

庶民の金融業としての役割ももってくるようになり、爆発的に江戸時代で増加していきました。そのため、爆発的に増加した江戸時代では、質屋取締令と呼ばれた法律が作られることになり、お店の名前も現在のものに変わってきました。

江戸時代にはこのお店が落語や時代劇などに度々登場するようになってきたことから、このお店が庶民にとって身近な存在になっていたことが良く分かります。

江戸時代に庶民がお金を借りに来る時に持ってきた家財などの質草には、大工道具や衣類や財布、火鉢やたばこを吸うためのキセルなどが多く持ち込まれていました。この時に持ち込まれていた衣類や着物などは安物などではなく、高級品が多く持ち込まれていました。

質草などにすることを、武具類や鎧や兜、将軍家などの家紋が入っているものなどは禁止されていました。しかし、持ち込みは禁止されていましたが、実際には多くの場合、見逃されていることが多くあり、質草として預ける人の数は多くなっていました。

また、質草などを保管しておくために建てた土蔵は、当時の江戸時代では火事が大変多く起こっていたため、預けられた質草の保管のためには建物を火事などに強いものにする必要があったり、また、湿度などからも守らなければならなかったためです。

お金の貸し出しは、担保として出された質草の価値よりも貸し出さないので、貸したお金を返してくれれば利息分で利益が出ることになり、お金が返済されない時には質草を質流れとして売却を行うことで利益が出る仕組みになっていました。

また、お金を貸し出すのではなく、持ち込まれたものを買取る場合もあり、そのような時でもしっかりと利益が出せるように、買取る価格も持ち込まれたものの価値以下の金額にして、しっかりと利益が出るようにしていました。

質屋の衰退

このお店の主な収入源は昭和の始め頃までは、質草などを預かったことによって生み出された利息などでしたが、1960年代の高度成長期を迎えた頃からは衰退がみられるようになってきてしまい、70年に入ってくるとお店の数が大変減ってきてしまいました。そのために生まれてきたものに、質流れ品などをお店のウインドウに展示して販売していく小売りという方法でした。

そして80年代に入ってくると、小売部門などを本格的にしてきたお店も多くなり、現代のような質屋のスタイルが完成してきました。このように時代の変化と共に様々な工夫をしながら発達をしてきたのです。

まとめ

この10年間で質屋は衰退し日々、減少しています。高級ブランド品や宝石など取り扱う商品が変わり、質屋も商品を見分ける真贋力がないところは営業が難しくなってきています。ですので、現在、質屋業で生き残っているところは、商品知識等を日々、勉強されているところです。

インターネットが普及し、商品の流通の日本から海外へとグローバルになってきています。今、生き残っている質屋は、昔からの質屋システムというよりも、最新の情報を常に仕入れているグローバルな質屋です。

700年も続く質屋は、日々、進化しながら生き残りをかけて頑張っています。少しでも質屋について知ってもらえたら嬉しいです。