皆さん、こんにちは。
熊本の質屋 質乃蔵の児玉です。
10数年前は全国に質屋は3万点店あり、ここ熊本でも、かなりの数が営業されていました。しかし、時代とともに、今は全国でも3千店熊本も10数店に減ってしまいました。
時代とともに減っている質屋ですが、質屋(しちや)って、いったい何?と思われる方も多いはずです。ということで、質屋の歴史について書こうと思います。少しでも質屋について知って頂けると嬉しいです。
700年続く質屋の歴史についての豆知識
質屋が日本に誕生したのは、今から700年も昔までさかのぼり、鎌倉時代に誕生したものです。この名前を聞いて思い浮かべるものは無愛想の表情をした店主がいるお店です。
質屋とは現在で言うと銀行(金融機関)のようなもので、少額の資金を庶民に融資してくれる庶民の金融業と言うことができます。ここでお金を借りに来た人に貸すときには、基本的に現在の金融機関が行っているような審査などはしないでお金を貸しています。
質預かりの仕組みとは?商品を担保にしてお金を融資
お金を貸し出すときには、借りる人が持ってきているものを質として預かることにし、預かったものの価値以上にお金を貸し出すことはしません。また、質とは、現在で言う担保のようなもので、お金を借りに来た人がお金を借りる代わりにお店に預けるものです。この時にお店に預けた担保となる家財などは、質草とか質種などと呼ばれていました。
お金を借りると利息が必要になってくるのは現在と同様で、当時の法律に基づいた利息で貸し出しを行っていました。お金を返済してくれるまで保管しているための費用や手間などを考えて、利息を設定しています。また、流質期限という返済期限の代わりのものが設定されており、お金を借りてからおよそ3か月以内までに借りた金額と利子とを合わせた総額を返済しなければ、担保に出された質草はお店のものとなってしまいます。
質草がお店のものになった時点で借りたり貸したことに対する契約は終了することになります。このことを質流れと呼び、この担保として預かり、質流れとなってしまった家財などは、お店で店頭販売を行ったり、共同組合のようなところが運営している個物市場などで販売される仕組みになっていました。
質屋の歴史は700年
質屋が誕生したのは鎌倉時代で、今から700年以上も前になります。これは、鎌倉時代は貨幣経済が発達してきた時代で、この当時の名主や有力者などが自分の領民などに対してお金の貸し付けを行うようになってきたことが原型となっています。この当時の名前は現在のものとは違い、土倉というように呼ばれていました。質屋の衰退
このお店の主な収入源は昭和の始め頃までは、質草などを預かったことによって生み出された利息などでしたが、1960年代の高度成長期を迎えた頃からは衰退がみられるようになってきてしまい、70年に入ってくるとお店の数が大変減ってきてしまいました。そのために生まれてきたものに、質流れ品などをお店のウインドウに展示して販売していく小売りという方法でした。まとめ
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